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 フランス・パリで11月13日夜(現地時間)に発生した同時多発テロ。金曜の夜を楽しんでいた市民ら130人が犠牲となる卑劣な犯行の傷跡が生々しく残る同月末、国連気候変動枠組み条約第21回締約国会議(COP21)に出席するため、訪仏した安倍晋三首相に同行する形で、事件現場を訪れた。そこで見たのは「自由・平等・博愛」の下で力強く結びついたパリ市民の姿と、いまだにしこりが残る日韓の微妙な距離感だった。

 羽田空港を政府専用機で発ち、パリ・オルリ空港に到着したのは同月29日午後9時すぎ。安倍首相は空港を出ると、犠牲者への献花のため、約90人が命を奪われた現場であるマレ地区のバタクラン劇場に直行した。

 「日本として強い連帯の意を表明したい。試練の時を迎えたフランスと日本は常に共にある。二度とこうした悲劇を繰り返させてはならない」

 安倍首相は献花を終えると、記者団にフランス国民に寄り添う姿勢を強調した。

 道すがらバスの中から垣間見た夜のパリは平穏で、警察官の姿も特に目立たない。ホテルに到着後、さっそく凱旋門周辺やシャンゼリゼ通りなどを歩いてみたが、酔っ払った若い女性2人組や中年男性に「日本人! オハヨウゴザイマス!」などと立て続けにからまれて、別の意味で緊張した程度で、やや拍子抜けした感があった。

 しかし、翌日早朝に訪れたテロの現場は雰囲気が全く異なり、緊迫感が漂っていた。まだ薄暗い中、地下鉄を乗り継いで向かったバタクラン劇場の周辺では、銃を持った警察官数人が通行人や通過する車などに目を光らせる姿が…。

 閉鎖されて真っ暗な劇場に向かって両手を合わせた後、周囲を眺め回してみると、シートが張られて立ち入りできない歩道の前にたくさんの花束が置かれ、犠牲者とみられる若者の写真や、フランスの三色旗をはじめとするさまざま国の国旗、言語の追悼メッセージなどがあちこちにささげられていた。安倍首相が献花した花束も見つかったが、中でも特に印象的だったのは、アラビア語のメッセージが書き込まれた三色旗だった。

 花束の山は劇場の目の前だけでなく、周辺の道路沿いにも広がっており、道路を挟んだ向かい側ではその長さが優に100メートルを超えていて思わず圧倒された。今年1月に風刺週刊紙シャルリー・エブド本社が襲撃された際には、100万人以上といわれるパリ市民がデモ行進をしたが、その時に怒濤のごとく表明された「自由・平等・博愛」を守ろうとする彼らの信念を、多少なりとも体感できた気がした。

 空も明るくなりはじめ、そろそろホテルに戻ろうかと思った矢先、いかつい感じの黒塗りの乗用車が数台、道路の向かい側に停車した。降りてきたのはスーツを着たアジア系の男たち数人。道路を横断して真っすぐに劇場前まで歩いてくると、警備していた警察官たちと何やら話し始めた。

 その様子を近くで眺めていると、うち1人と目があい、「どこから来た?」と英語で話しかけられた。「日本から来た。そちらは?」と聞き返すと「韓国だ」との答え。どうやら韓国の外交官一行で、同じく訪仏していた朴槿恵(パク・クネ)大統領の献花に備え、下見に訪れたようだ。

 そこで「昨日はここに安倍首相が来ましたよ」と教えると、「シンゾー・アベが来たのか? いつだ!」と驚いた様子で聞き返してきた。「昨晩、パリに到着してすぐ、こちらで献花をした」と答えながら、安倍首相が供えた花束のある場所へと案内すると、「シンゾー・アベが、ここに来たのか?」とさらに念を押してきた。そして、花束に結ばれた、フランス語で「PREMIER MINISTRE DU JAPON(日本の首相)」と書かれたリボンを眺めながら少し考え込むような様子を見せていた。

 時間がないのでそのまま別れたが、どうもその後が気になる。そこで帰国後に調べたところ、朴氏はこの後、劇場を訪れ、犠牲者に献花をしたとのこと。その時の写真を確認すると、安倍首相が献花した場所を避けたのかどうか、そこから左側へ数メートル離れた場所に、きれいな花束を置いていた。

 せっかく教えてあげたのだから、どうせなら同じ東アジアの首脳同士、すぐ近くに置けばよかったのに…。少し残念な気がしたが、この数メートルが日韓の微妙な距離感を図らずも表しているようで、妙に納得せざるを得なかった。(政治部 小野晋史)

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