忍者ブログ

2025

0926
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2015

1224
<PR>都内出張アロママッサージを呼ぼう♪技術に定評があり美人が多い優良店



 日本人28人を含む乗員・乗客269人が死亡した1983(昭和58)年の大韓航空機撃墜事件をめぐり、米政府高官が事件発生から約2カ月後に日本側に対し「(旧ソ連軍が)米偵察機の航跡に15分後に入った大韓航空機を米機と誤認した」とする秘密情報を伝えていたことが24日に公開された外交文書でわかった。米側がソ連軍の動向を詳しく把握し、早い段階でその内容を日本側に伝達していたことになる。

 事件は同年9月1日に発生。ニューヨーク発ソウル行きの大韓航空機は本来の飛行ルートを外れてソ連領空に入り、ソ連軍のスホイ15戦闘機に撃墜された。ソ連は撃墜したことを認めなかったが、自衛隊が傍受したソ連軍の交信記録が米国に提出され、発生から5日後に公表されたことからソ連が認めた経緯がある。

 公開された文書は同年11月14日付。手書きで極秘指定されている。当時の外務省人事課長が米政府高官から聞いた話としてまとめられた文書には、「ソ連のレーダーは3台のうち1台しか作動せず50分間、大韓機を見失った。(同機が)サハリンから公海上に出んとしたところを撃墜したものである」との説明がある。

 また、「ミサイルは2発発射されたが、レーダーホーミングのミサイルはあたらず、排気熱追跡型(ママ)の2発目が左主翼に命中し、同機は11分間きりもみの後、墜落した」と書かれている。

 米高官はさらに、「1983年7月には軍用機と民間機を区別すべしとの訓令が出ているにもかかわらず、体制が侵犯せるものはすべて破壊すべしとの至上命令があったため、この結果となった」と指摘した。

 国際民間航空機関(ICAO)は93年、大韓機が米偵察機と誤認されたとする再調査報告書をまとめた。しかし、大韓機がソ連領空内に入った理由などについては明らかになっていない。

プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
カテゴリー
P R
忍者ブログ [PR]
* Template by TMP