2016
[マニラ 1日 ロイター] - フィリピン選挙管理委員会は1日、選挙で有利に働く可能性があるため、候補であるボクシングの元8階級王者、マニー・パッキャオ(37、フィリピン)のウェルター級タイトルマッチが国内で放送規制される可能性があると明かした。
先月、パッキャオのライバル候補が試合は選挙法違反に当たると抗議し、選挙管理委員会はパッキャオにこれを通告。パッキャオには5日以内に見解を表明する猶予が与えられ、対策はその後に検討される。試合を止める権限はない選挙管理委員会はパッキャオに部分的な放送制限などの選択肢を伝えているという。
パッキャオは4月9日にティモシー・ブラッドリー(米国)と対戦し、これが引退試合になると見られている。選挙はちょうど1カ月後の5月9日に行われ、パッキャオは上院議員選に出馬している。
2016
中国・上海の夕刊紙、新民晩報(電子版)は2日、人気アイドルグループ・SNH48の唐安チー(タン・アンチー、23)が1日夜に上海市内のカフェで発生した火事で重傷を負ったと報じた。唐安チーは集中治療室に運ばれたという。
唐安チーは昨年行われた、SNH48の第8弾シングルに参加する選抜メンバーを決める第2回総選挙で28位に入っていた。
SNH48はAKB48の姉妹グループとして2012年に発足。海外での姉妹グループはインドネシアのJKT48に続き2組目。
※名前のチーの漢字は王へんに其
2016
日本テレビは2月29日、桝太一アナウンサー(34)と女優の北乃きい(24)が司会を務める朝の情報番組『ZIP!』(月~金 前5:50~8:00)の2月の月間平均視聴率が9.3%を記録し、初めて同時間帯横並びの視聴率で単独トップに立ったと発表した。
【写真】スラリ美脚!『めざまし』後任の“ユミパン”とは…
2月1日週から22日週の4週連続で週平均横並びトップを獲得と絶好調の同番組は、2011年4月の番組開始以来5年目で悲願を達成。長寿番組が並ぶ朝の時間帯で、当時の最後発番組として始まり、長らく首位に君臨した『めざましテレビ』(月~金 前5:25~8:00)の牙城をついに崩した。
番組スタート当初は「朝刊を頻繁に取り換える人が少ないように、朝の時間帯の視聴習慣はなかなか変わらない」と言われたという総合演出の柴崎朋樹氏は、同局を通じて喜びのコメント。
「いまこうして多くの方に見ていただけるようになったことは、とてもうれしいです。これまで自分たちは新参者でありチャレンジャーだという気持ちでやってきました」といい、これからも「新参者魂・チャレンジャー魂で頑張ります」と気持ち新たにしている。
2016
水曜22時放送の『ヒガンバナ』(日本テレビ系)、『フラジャイル』(フジテレビ系)が視聴率で、熾烈なデットヒートを繰り広げている。平均視聴率10%の『ヒガンバナ』に対して、追い上げを見せる『フラジャイル』は9.7%と、その差、わずか0.3ポイントだ。この視聴率バトルの背景について、テレビ解説者の木村隆志さんが分析する。
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同じ時間帯に放送されているドラマは、「一方が支持を集めて、もう一方がかなりの低視聴率に苦しむ」というケースがほとんど。しかも同じ1月13日に1話が放送された両作が、7話まで似たような視聴率で推移しているのは異例です。
ここ2話では『フラジャイル』が上回っているものの、その差はわずか。しかも、ともに視聴率1ケタであることから、「痛み分け」というイメージがあります。
両作とも、“シンプルなコンセプト”と“サクッと見られる1話完結”という現代視聴者が好むポイントを押さえています。ただ、「女性刑事のチームで事件解決」「日陰に回りがちな病理医の活躍」という目先こそ変えたものの、どちらも刑事モノ、医療モノという人気ジャンル。
さんざん同じジャンルのドラマを見てきた上に、警察内部や病院内部での対立シーンも含め、既視感を抱いている視聴者は多いような気がします。ともに脚本・演出・演技のクオリティはまずまずであり、はっきりとした差がないため、単純に好みが二分されているのではないでしょうか。
このような異例の視聴率1ケタデットヒートが生まれているのは、もう1つ原因が考えられます。それは「水曜22時はフジテレビよりも日本テレビのほうが信頼できる」というドラマ視聴者の心理。日本テレビは1991年から24年間に渡ってドラマを放送していますが、フジテレビは2013年4月から。しかも1999年に撤退して以来14年ぶりの復活であり、言わば「一度投げ出した過去がある“出戻り”」なのです。
2016
東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から間もなく5年となる。いまだに立ち入りすら制限されている「帰還困難区域」に指定されている福島県大熊町へ2月、地権者の男性の一時帰宅に同行させてもらった。主を失った住宅は荒廃が進み、子供たちの声の聞こえなくなった教室には“あの日”のまま、ランドセルやノートが散らばっていた。除染廃棄物の黒い袋が積み上がるこの場所に、人の気配が戻るのはいつになるのだろうか。(緒方優子)
■防護服姿でゲートの内側へ
「はい、富岡」「0・5(マイクロシーベルト)」
午前10時すぎ、大熊町へ向かう車内。ハンドルを握る男性が通過した地点を告げると、後部座席の友人が測定した放射線量を読み上げる。常磐道を走る車窓から、所々に除染廃棄物の黒い塊が目に入る。
50代の男性の家は、福島第1原発から約2キロの距離にある。結婚後、初めて建てた「マイホーム」。その家で子育てもした。仕事で転勤を重ねたが、定年後は夫婦でゆっくりと大熊で暮らしたい。そんなささやかな夢は、原発事故で遠のいた。
男性は事故の5カ月後から、知人らとともに定期的に一時帰宅を続け、自宅と周辺の放射線量の測定を続けている。家にはもう住めないかもしれないが、この地域がどう変化していくのか、どこへ向かっているのか-。その手がかりをつかむための「定点観測」に、1年前から同行させてもらっている。
高速道路のインターチェンジ(IC)を降り、スクリーニング場で許可証を提示していつもの“装備”を受け取る。白いキャップに、防護服とマスク。足下は布とビニールカバーで2重に覆い、手にも綿手袋の上からゴム手袋をつける。汚染を区域外に持ち出さないようにするため、装備は厳重だ。スクリーニング場には数名のスタッフが待機し、手続きや着替えの手伝いをしてくれる。女性スタッフが多いのが印象的だ。
国道6号から脇道に入り、警備員のいるゲートを超える。この先が、「帰還困難区域」だ。
■「娘と通った」道、乱れた教室、朽ちていく家…
男性が一時帰宅で必ず立ち寄るのが、自宅から車で10分ほどの大熊町立熊町小だ。「昔、娘とこの道を歩いて通ったんだよ」。道中、そう教えてくれた。
小さなグラウンドには、草が背丈ほどに伸び放題になって枯れていた。校舎のアスファルトの隙間からも草が伸び、5年という月日の長さを改めて感じた。
窓越しに教室の中を見ると、床にはランドセルやノートが散乱し、机の上には開かれたままの辞書が置かれていた。事故前、熊町小には300人以上の生徒が在籍していたという。ここにいた子供たちはあの日、どんな混乱の中にあったのだろうか。今、避難先でどんなふうに生活しているのだろうか。
「たくましく」
こう刻まれた石碑の近くには、ひっそりと梅の花が咲いていた。
昼過ぎ、男性の家に到着した。2階建ての家と庭を今、支配しているのは、植物だ。庭にはツタ性の植物がはい回り、家の外壁やひさしにまで伸びている。
家の1階のガラス戸は割れ、和室の網戸も倒れている。不在の間に何者かに石を投げ込まれたといい、修復してもまた壊されたため、今はそのままになっている。
家の中に入ると、湿った空気とカビの臭いが鼻をつく。瓦が落ちた屋根からの雨漏りは次第に激しくなり、2階の床が腐食して1階まで崩れ落ちた。天井板はほとんどはがれ落ち、階段には、動物のふんも転がっている。
「はじめに1人で来たときは、気が狂いそうになったよ」。男性は、放射線量の測定を続けながら、当時の思いをそう打ち明ける。
1階の居間と廊下を仕切る扉の枠に、「H(平成)9」「H10」いくつも刻まれた印があった。「これはね、娘の身長」と、男性がうれしそうに指さした。
変わり果てたように見える家の中にはまだ、あちこちに家族の大切な思い出が残っている。
■廃棄物の黒い袋がぎっしりと
男性の家は、福島県内の除染で出た汚染土などを長期保管する「中間貯蔵施設」の建設予定地内にある。実施主体である国と地権者との交渉が進まず、これまでに取得できたのは用地全体(1600ヘクタール)の1%未満にとどまっているが、予定地内には県内各地から次々と汚染土が運び込まれている。
この日も、除染廃棄物を運ぶ大型トラックがひっきりなしに行き来し、昨年4月にはがらんとしていた保管場には、黒い袋がびっしりと積み上げられていた。「いつまで来られるか、わからないな」。男性は、そう思い始めている。
帰還困難区域に入るたびに、着実に何かが変わってきていることを肌で感じる。
ただ、これが「復興」に向かっている町の光景なのだろうか。だとすれば、一体誰のための「復興」なのだろうか。
間もなく事故から5年。住民不在の町はまだ、将来像を描けずにいる。